神を知る機会

 

 「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。」(新約聖書エペソ516

 

 私は、どなたの人生にも創造主であられる神様と出会う機会が訪れると信じています。また、クリスチャンとなってからは、数えきれないほど多くの機会に恵まれています。

 

 

 新約聖書の最後、ヨハネの黙示録3章に「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく」とあり、人の心に訪れるキリストのことばが記されています。でも残念なことに、多くの人はその機会を神との出会いの時とはせず、自分本位の考え方に従って、あたら貴重な時を逃しているのです。

 

  

 以前、私の最初の孫娘が遊びに来て、部屋にあるホルマン・ハントの「扉を叩くキリスト」の絵をこわがりました。3歳でした。幼子の神経はさまざまですが、キリスト教を先入観によって毛嫌いする人々のことを考えさせられました。かく言う私も24歳の頃、わが家にドイツの宣教師が来て家庭集会が行われる日には、隣の家に行って将棋を指した時期もありました。でも間もなくクリスチャンの弟に誘われて教会の青年の集いに出席し、以来休むことなく通って、それまでの自己中心の生き方の矯正に努めるようになりました。そして今、聖書のことばが神の声として心に響きます。時がたち、今もなお多くの人々が、せっかくのすばらしい天国へのスタートともなるべきチャンスを見逃し続けていることは、何とも残念なことです。

  

 

 新約聖書のヨハネの福音書319節には、「光(キリスト)が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである」とありますが、このまま終末の時を送るわけにはいきません。聖書には、「滅び」という言葉で警告されているからです。

 

20161019日 依田次雄名誉牧師)

 

  

☆ こちら主の園では、1019日から26日まで文化祭が開催され、私は習字2点(①詩篇191、②俳句「あの月をとってくれろと泣く子哉(一茶)」)を出展しました。